非IT企業に勤める中年サラリーマンのIT日記

非IT企業でしかもITとは全く関係ない部署にいる中年エンジニア。唯一の趣味がプログラミングという”自称”プログラマー。

阪神淡路大震災から21年ということで、東日本大震災の経験を記しておきます

      2016/01/19

あの阪神淡路大震災から21年経ったそうです。早いですね。当時は大学卒業して就職して1年も経っていない頃でしたが、ちょうど今の奥さんと付き合いはじめたころでもあって、たしか一緒にラーメン屋かどこかにいて、そこでテレビに人の名前のテロップが延々と流れるという尋常のなさに、一瞬で何か大きな問題があったんだろうと理解しました。その時の背筋が凍るような感覚は今でも鮮明に覚えています。それから17年後にまさか自分が東日本大震災に遭うとは想像もしていませんでしたが。

被災したとは言っても、ここは茨城県北部なので福島や宮城に比べれば被害は少なかったのですが、あの大きな揺れには生まれて初めて死を覚悟したものです。当時は会社にいたのですが建物が倒壊するんじゃないかと思うくらいグニャグヤ曲がっていましたから。

阪神淡路大震災と東日本大震災日本との間に中越地震もありましたので、日本って10年に一回くらいのペースで大地震があると考えた方がよさそうです。ほんと、たまんねーな・・・。

で、せっかく大地震を経験したわけですから、当時の経験を記しておきます。いずれ別の地で震災に見舞われる方への一助になればと。

通信手段の遮断がパニックの元

こういった大問題が発生し時に最も重要なことは「通信手段」となります。家族をもっていると特に。しかし、当然ながら携帯電話はもちろん通じず、固定電話もダメ、となっているのでパニックに陥ります。いや、ホント、食事や水よりこの通信手段の遮断が一番こたえますよ。家族と離れて震災に遭うと安否の確認ができませんから。

うちのケースでいくと、会社から家に戻ったのが19時頃。なんでそんなに遅くなったのかというと、勤め先が工場なので変える前に工場内をチェックしなければならなかったんです。2次被害の原因になったらシャレになりませんからね。そのチェックが終わって帰宅したのが19時。そのとき自宅はもぬけの殻でした。なんたって海の近くなので津波警報と共に妻は子供2人を連れて逃げたわけです。もちろん、妻のこの行動は正解です。ここで覚えていてほしいのが、家を出る際にどこに向かうか玄関に張り紙をしておくといいでしょう。もちろん時間的な余裕があればの話ですが。当時は僕も妻もパニック状態でしたので、そこまで頭が回りませんでしたが、後々、そうすればよかったと反省したものです。でも、事前にそうしようと考えていなければそんな行動はうつせませんね。いかに事前に考えておくかが重要なんです。

幸いにして近所の人が逃げ始めるところで、その人が妻の実家に向かったと教えてもらえました。そこで僕は妻の実家に向かうわけです。

やっぱり玄関先の張り紙は重要!

10kmほど離れた妻の実家に向かいました。ちなみに幹線道路は大渋滞でピクリとも動けない状況。そこは裏道を駆使して何とか到着したわけですが、そこでももぬけの殻。まあ予想はしていました。停電のために真っ暗で床にガラスの破片もあるかもしれない状況でそこにいられるわけがないので、当然避難所に向かったのだろうと。で、ここでもやはり張り紙が重要。どこの避難所に向かったか一言書くだけでその後の状況は大きく変わります。その後僕は避難所という避難所を夜中まで探し回ることになったわけです。というのも、避難所も真っ暗で探すといっても困難でなかなか見つからない。人も多いし。「この場所に必ずいる」という自信があればじっくり探すものですが、いるかどうかわからない状況で探すとなると結構焦ります。主要な避難所と学校を転々と探し回りましたが、結局は最初に行った避難所にいた、という結末。なぜわかったかというと、ずいぶん前に妻がダメ元で送ったメールが数時間後に届いたんです。それを見て直行し、今度は十分練り歩いて家族のもとにたどり着いた次第です。

病院もパニック

ここで、新たな問題が。なんと長男(当時3歳)が高熱で救急車に運ばれたと。義母が付き添って行ったとのことでしたが、どこの病院に行ったかわからないという状況。まあ、義母付き添いということもあって少しは安心していたので少し仮眠した後、市内で一番大きい病院へ向かいました。そしたらビンゴ!エントランスに張り出された大きな模造紙に長男の名前がカタカナで書かれていたのをキャッチ。よしこれで万事OKだ・・・と思ったら、

「もう帰りました」

との一言。しまった、仮眠したのがまずかった、と、パニックになった僕は大急ぎで避難所にとんぼ返り。ところが、そこには義母も長男も帰っておらずさらにパニック。考えてみればどうやって帰るんだよと。タクシーもないのに。と自分のアホさ加減に怒りつつ、またもや病院に。ちなみに病院と避難所とは15kmも離れてます。

病院到着後、まだここにいるはずだと病院関係者に伝えたところ、「いや、帰りました」と一点張り。一歩たりとも病院内に入れさせないという態度。「帰れるわけないでしょ。どうやって15kmもの距離をタクシーなしで帰れるんですか?」と返したら、「歩いて帰ったんじゃないですか?」と病院関係者。さすがにムカッと来たのですが、ここでケンカしても無駄な体力使うと思って、見計らって病院内に侵入してやろうとエントランス付近でうろうろしていたら、長男をおんぶした義母とばったり遭遇。もう、あぁぁぁぁ~って感じです。涙出ましたよ。その後、前出の病院関係者に軽くクレーム言ってやりましたが、当時の病院も殺人的な忙しさなのは見て取れたのであまり強くは言えませんでした。

さて、一番重要なモノ、何かわかりました?

そう、自動車です。

唯一の通信手段は自動車なのです。これ以外に情報を伝達する手段はなかったのです。だからガソリン残量は超重要になりますよ。もし地震当日、ガソリン残量が少なかったら、ここまで動けなかったと思います。病院に長男を迎えに行けなかったと思うとゾッとしますね。義母と長男は数日病院で過ごすことになりかねず、さらには追い出された可能性もあったわけですから。

僕はこの時がトラウマとなって今でもガソリン残量がまだ中央付近で入れるようにしています。空っぽはマズいと。ホント、食料なんて後で何とでもなりますよ。避難所に行けば少ないながらもありつけますから。まずは平時でのガソリン確保が重要なんです。自信来たらガススタンドは閉鎖しますからね。だから常日ごろからガソリンはギリギリまで使わずある程度まで来たらつぎ足しましょう!

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